【なぜ”3年”なのか?】「続ける」ことで得られる気づきの話

気づけば、違う自分がいる。

 

寺町商店番頭の志保です。

桜の花びらがはらりはらりと風に舞う美しい季節となりました。新年度を迎え、いかがお過ごしでしょうか?

さて、この4月、私はナーランダ出版に入社して3年目を迎えました。

ナーランダ出版は「世界に知恵の花束を」をコーポレートメッセージに掲げ、仏教の智慧、日本人の「知恵/伝統の技/こころ」を世界に配信して、知恵のある社会を目指す出版社です。

そして私は、「心と体にやさしい、知恵のある暮らし」に関わる品々をご紹介するオンラインストア「寺町商店」の企画運営を担当しています。

ゆっくりと振り返ることもできぬまま走り抜けてきた2年間でした。でも、昔から「石の上にも三年」といいますよね。私もまだまだ走り続けるつもりです。

ところでーーなぜ石の上にも「“三年”」なのでしょうか?先人が3年と定めた理由が気になります。

そこで新年度を迎えた今、「3年続ける」ことの意味をあらためて考えてみました。

 

単なる”根性論”ではない

「石の上にも三年」の由来は諸説ありますが、中国禅宗の開祖である達磨(だるま)大師が、洞窟で9年間座禅を組んで悟りを開いた話を由来とする説があります。

「最初は冷たく固く感じる石でも、3年も座り続ければ温まる」という意味で、3年という数字は、「長い期間」を示した言葉であると考えられています。

つまり、「報われたければ、3年我慢せよ」という根性論ではなく、実は「長年頑張ればいつかは報われるさ」というポジティブなメッセージなのです。

 

「できない」が「わかる」に変わる

とはいえ、 私は、「3年」という数字には意味があるように思えてなりません。

たとえば、私は、入社以前からライターの職についていましたが、この会社の、この立ち位置で求められるレベルの文章がなかなか書けず、いまだに諸先輩方にアドバイスをいただきながら文章を書かせていただいています。

ひとつ課題をクリアしたと思えば、また新たな課題が現れ、失敗もし、意気消沈しながらも前に進む毎日。

しかし、それを繰り返すうちに、自分の「できない」部分が明確になり、対策を講じることで「わかり」、新たな私の形が作られていくのを感じるからです。

必死で仕事をこなす1年目、自分の課題が明確になる2年目、そして、少しずつ成果が出始める3年目ーー

「石の上にも”長年”」ではなく、あえて「三年」とした先人には、何かしらの深い思いがあったのではないでしょうか。

 

続けることの本質は、「変わる」こと

「石の上にも三年」という言葉には、ただ耐えるのではなく、「変わることに意味がある」というメッセージが込められているように思います。

何かを3年続けるうちに、視点が変わり、感覚が磨かれ、その世界の見方がわかってくる。そうして、ようやく本当のスタートラインに立てる。

そう考えていくと、「3年」という数字は、やはり絶妙な数字だとも感じます。

誰しも新しい環境に戸惑ったり、不安になったりする日もあるかもしれません。でも、それは変化のサインです。変化を恐れず、むしろ面白がって、楽しみながらともに前に進んでいきましょう。

3年目の私も、どうぞよろしくお願いします。