【なぜ”靴を揃える”のか】寺町商店の2025年を考える

本格的に冷え込んできました。吐く息が白くなり、朝夕は特に寒さが身に染みる今日この頃、いかがお過ごしですか。

今日は、「イチゴミルクの素」をホットミルクで割って、2杯もいただいてしまいました。

お腹からじんわり温まり、イチゴの優しい味に心もほんわか。寒さに縮こまった体がゆるんで、パソコンを打つ指先も軽快に動きます。

さて、11月も残すところあと少し。そろそろ来年のことが頭をよぎるようになってきました。

 

4月の開店以来、時には「固定概念の落とし穴」に落ちつつ、商品を手に喜んでくださるみなさんのお声や、経営者の「変化を恐れない姿勢」に奮起しながら、ゆっくりですが少しずつ歩みを進めてまいりました。

 

2年目を迎える2025年は、「眼をこらして足元を見る」1年にしたいと考えています。

 

寺町商店でなければ生み出せない「心と体・日々の生活に、活力と楽しみをもたらす『善きもの・善きこと』」を、本当にご紹介できていただろうか。

・寺町商店の生みの親である”寺町新聞”のスローガン「生きるを照らす」。私たちも、お客様や出店者のみなさんの「生きる」を本当に照らしていたのだろうか。

・寺町商店は、どんな商店になりたいのか。

 

もう一度初心に戻り、寺町商店の「今」を問い直し、寺町商店らしさをとことん追求したいと思います。

 

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看却下(かんきゃっか)」という禅語があります。「自分の足元を見て、初めて道が拓ける」という意です。

 

私も、外に目が向くことがよくあります。「どうしたら寺町商店を多くの方に知っていただけるだろうか」と考えてしまいがちです。

 

でも、

答えは足元にある。足元が充実すれば、しっかりと立つことができる。そうすることで、立つ者はおのずと知れ渡ることになる。

私はそう捉え、この言葉をいつも思い返すようにしています。

 

また、この言葉には「靴をそろえよ」という意味もあるといいます。

幼い頃から、親に「靴を揃えなさい」と言われ、「なんとなくお行儀が悪いのは嫌」、「後で履きやすいから」という理由で靴を揃えるようにしてきましたが、

 

これには、「毎日靴を揃えることで、足元を見直し、初心に帰る習慣が身に付く」という深い理由があるようです。

 

いつか福厳寺に足を運ばれた際は、ぜひ玄関を訪れてみてください。いつも、どんな時も、きれいに履物が揃っています。私は、その様子を見るたびにハッとし、なんとも清々しい気持ちになります。

 

寺町商店も、来年は「ここは気持ちがいい店だね!」といわれるような、清々しく、粋な、唯一無二の商店を目指して動きます。

 

どうぞ、これからも変わらずご贔屓ください。